山内昌之, 鶴間和幸

日中の歴史教科書を比較して見ると、双方の歴史認識の差異は顕著である。日中の歴史共同研究を進めるに当たって、両国の歴史教科書のなかで相手国である日本や中国がどのように記述されているかを知っておく必要がある。 歴史教科書の執筆には歴史研究者が重要な役割を果たしてきたので、歴史認識の差異には研究者としての責任もある。中国の中学校、高等学校の教科書は日本でも翻訳されており、一般にも関心がもたれている。中国の歴史教科書に日本はどのように記述されているのか、日本の歴史教科書に中国はどのように記述されているのか。また中国の教科書にある日本の記述は、新しい日本史の研究水準をどこまで反映しているのか、日本の歴史教科書にも新しい中国史の成果がどこまで現れているのだろうか。 日本の歴史教科書における中国史の記述にも問題が見られる。日本の高等学校では日本史と世界史の教科として歴史を学び、双方の教科書のなかに中国に関する記述が数多く見られる。ところが日本史と世界史の教科では中国や日中関係の記述の内容が異なっている。理由は日本における日本史研究者と中国史研究者の視点の違いにある。日本史の教科書では日本史の研究者が中国史を執筆し、世界史の教科書では中国史の研究者が日本史部分をも執筆する。つまり日本史の教科書では日本に視点を置いて朝鮮ともに中国との交渉の歴史が書かれ、世界史の教科書では中国に視点をおいて東アジアの日本が朝鮮とともに記述されている。このことは日本における日本史研究者と中国史研究者の東アジア世界のとらえかたの違いにも関係してくる。 そもそも史料というものは日中それぞれの世界観で書かれている。ともすると歴史研究者は一方の史料の性格と内容に左右されてしまう。中国史の研究者は中国の史料を中心に国際関係を考え、日本史の研究者はもっとも近い日本の史料を中心に国際関係を考える。双方の突き合わせの作業を行わないままに、各国史(中国史、日本史)や世界史の歴史教科書が作成されてしまう点は反省する必要があろう。